―――翌朝。 雀の鳴き声と共に起床した葉は、縁側に座り込み、ぼんやりと宙を見つめるに気付いた。 「」 ゆっくりとが振り返る。 「――葉さん…おはようございます」 「おはよ。葉でいいぞ。あと敬語もいらん。…隣いいか?」 「あ、うん…」 葉はの隣に座った。 まだ二人とも浴衣姿である。 特にに至っては、 「、お前寝てないだろ?」 「…――…」 こくん、と小さく頷く。 葉が苦笑する。 「そうだよな、眠れるわけねえよなあ」 「……蓮、が」 「ああ、聞いてるよちゃんと。お前をしばらく預かって欲しいってな」 オイラ達はそこんとこ全然気にせんから、お前も気楽に居座れよ、と。 葉はいつものユルユルとした笑顔で言った。 それはほんの少しだけ、の心を軽くした。 だけど。 「……本当は、これで二度目、なの」 「何がだ?」 「蓮が……一人で行ってしまうこと」 そして―――わたしが置いていかれること。 シャーマンファイトのときと、今を合わせて。 二度。 は、ぎゅっと自分の腕を掴んだ。 「………」 「本当は、わかってる。蓮が……わたしを守るためにやってくれているんだってこと。口には出さないけど…何となくわかるの」 だけど、だけどね。 心の中のもう一人の自分が、それを許さない。 彼の優しさに甘んじることを許さない。 「わたし…強くなりたい。守られてばかり。そんな弱いわたし…だいきらい。強くなりたい」 そうすれば、蓮に気を遣わせることもなかったかもしれない。 こんな自分がいやだ。 足手まとい。 いつもわたしは…守られてばかりだ。 今も、シャーマンファイトのときも……思い返してみれば、あのパッチとの時だって。 「んー……」 しばし葉が困ったように頬をかいていた。 そして。 「それってさ。あいつが……蓮が、お前のこと、それだけ大事に思ってるってことには、ならんかな」 「だいじ、に…?」 「おお。大事に思うからこそ、傷つけたくなくて、守りたい。……そういうことじゃ、ないんかなあ」 きょとん、とするに、葉が微笑して話し始めた。 それは陽だまりみたいに、あたたかくて。 優しい、声。 「オイラな……正直ビックリしたんよ。久々に会った蓮が、前に会った時と全然、雰囲気も顔つきも変わってて」 「変わってて?」 「うん。何ていうか――丸くなったよな、アイツ」 もそれは感じていた。 でも、それは。 葉の影響だから――― そう言うと、「まさか」と葉は笑った。 「そうかもしれん。そうじゃないかもしれん―――でもな、オイラが思うのは……アイツは凄い変わった。 ただとんがってた前とは違って…優しくなった。それはたぶん、お前のお陰なんじゃないかと、思う」 「わたし、の…?」 流石にも驚いて、思わず自分を指差してしまった。 すると葉は、そう、と頷いた。 「でも――も、知ってるだろ? アイツすげえ不器用だって」 「う、うん…」 「守るってさ。やり方は、人それぞれだと思うんよ。蓮みたいに安全な場所に置いていく場合もあれば… もしかしたらその場に連れて行く奴もいるかもしれん。 でも、もしオイラも同じ状況にあったら、たぶん置いていくと思う。 だってその場に連れて行くっていうのは……逆を言えば、巻き添えを食らわせる可能性も高くなるってことだ。 そんなの嫌だ。だから連れて行けない。 ―――でもそれは、絶対に傷つけたくないって思うからなんよ」 「………」 「ただ、蓮は…ちょっと言葉が足りねえよな。折角守りたいほど大事に思ってる奴なのに…こんな風に逆に負い目を負わせちまってる」 はは、と葉は苦笑した。 笑いながら、そっとの頭を撫でる。 思い返してみれば、よく蓮にも頭を撫でられていた。 葉みたいに柔らかな訳ではなかったけれど…荒削りな優しさが、そこにあった。 そう思った瞬間―――じんわりと胸が温かくなる。 「な? がそれを、気に病む必要なんか全然ないんだ」 「……ん…」 は小さく頷いた。 「今オイラ達がやるべきなのは……蓮を待ってること。アイツが頑張ってんのは、お前が一番良くわかってるだろ? そして…帰ってきたアイツを笑って迎えること。出来るよな?」 「う、ん」 「待つことは凄くつらいことだ。オイラだって……アンナにいつも待たせちまってる。でもな、思うんよ。 アンナを見てると――待つことも、ひとつの強さなんじゃないかって」 「…っん」 「泣くなよー」 「……うん…」 仕方ねえなー、と葉が笑いながら、袖でごしごしと涙を拭ってくれる。 葉の優しさが嬉しくて、は小さな声で礼を言った。 すると葉は気にすんなとまた頭を撫でる。 それがまた、涙腺を刺激して。 「―――あーッ! 葉お前、朝っぱらから何のこと泣かしてんだよ!」 「うお、ホロホロ!?」 いつの間に起きたのか、ホロホロが廊下にいた。 その後ろから、まん太やピリカ達もぞろぞろと続いている。 「おい、大丈夫か!? 何かこいつに言われたのか!?」 「人聞きの悪いことを言うな! オイラは別になんも……な、なぁ!」 慌てて葉がに尋ねる。 その、さっきとは打って変わった様子に―――は。 「うん。何でもないんだよ、ホロホロ。――おはよう」 自然と口許が綻ぶ。 涙はもう、そこにはない。 その笑顔に―――ホロホロが照れたように、頬を掻く。 そして、 「――お前、元気出たな」 「え…?」 「蓮の話聞いてよ……俺だって、心配してたんだからな」 葉だけじゃないんだぞ、と。 そっぽを向きながら口を尖らせるホロホロ。 は目をぱちぱちと瞬かせて―――やがて、ふっと笑いが込み上げた。 葉も、それを見て微笑む。 ホロホロが「何二人して笑ってんだー!」と逆切れして、葉に襲い掛かった。 ごろごろと庭先に転がる彼等。 まん太やピリカ達の制止の声を聞きながら―― 今度こそ、は笑い声をあげた。 心の中で、もう一度葉に礼を言う。 ありがとう。 待ってる。蓮のこと。 そして。 言ってあげよう。彼が帰ってきたら、一番に。 おかえりなさい、と。 だけど 運命はどこまでも、残酷で 『―――よ、葉様ァ!』 そう、それは 『どうか……どうか蓮ぼっちゃまを、お助け下されッ!』 ちっぽけな決意など、飲み込まれてしまいそうなほどに 蓮は捕まった。 己の父親・道円に負けて。 ことの次第を、馬孫がぽつりぽつりと説明する。 (蓮が…) スッとお腹の底が冷えていく。 まるで足元の地面が崩れていくような、そんな感覚。 『蓮ぼっちゃまの力を持ってしても、道円様には遠く及ばず…』 馬孫の声が遠くに聞こえた。 待っていろと、あの低くそれでも柔らかな声音が、今でも耳の奥に残っている。 『お願いです、最早ぼっちゃまを救い出せるのは、貴方達しかいない…! どうかッ…』 「うーん…行ってやりたいのは、やまやまだが…」 葉が困ったように言う。 そう、彼だって本当は蓮を助けに行きたかった。 友達だから。 でも。 「―――そんな訳のわかんない戦いに、うちの葉を連れ出さないで」 アンナが冷たい声で言う。 中国の裏歴史。 それが道家。 その年月は麻倉家を遥かに上回り、古代から暗躍してきた―――闇の歴史。 そんな危ないものに関わるべきではないのだ。特に本戦を控えた、この大事な時に。 アンナの主張も、ある意味最もだった。 「っ…」 が思わず口を開く。 それを―――葉がさりげなく遮った。 びっくりして葉を見つめる。 今は何も喋るな――そう、目が言っていた。 にはどういう意味なのか、わからない。 だが思わず、言葉を飲み込んだ。 「ごめんな、」 結局アンナの言われた通りに、いつもの特訓を開始して。 庭で空気椅子をやりながら、葉はに謝った。 は縁側に座ったまま、ふるふると無言で首をふる。 わかっている… アンナも、葉を思うからこそ、ああいう行動に出たのだと。 わかっているからこそ、やりきれない。 ならば葉とは関係のない、自分こそが。 何とかしたいのに。 蓮を、助けに行きたいのに。 惜しむらくは、その力が、自分にはないこと。 ぎゅっとは両手を握り締めた。 蓮 蓮 名前を呼んでも、答える声はない。 彼は今、遠く離れた海の先にいる。 「でもな、」 葉の声に、は顔を上げた。 そこには――何かを思案しているような。 「心配すんな。きっとオイラ達が――なんとかするから」 つとめて明るい声で、葉はに笑いかけた。 その時は、それがどういう意味なのかわからなかった。 それがわかるのは――その晩のこと。 □■□ 男子部屋の方が何やら騒がしい。 ばたばたと廊下を走る音に、は目を覚ました。 どうしても眠れなくて、それでもやっとうつらうつらしてきたところだったのだが―― そっと襖を開け、は廊下を覗いた。 すると、普段着にいつのまに着替えたたまおが、大慌てで走ってくるところだった。 これには流石のもびっくりする。 「た、たまおちゃん…? どうしたの」 「あ、さん! あの、あの、大変なんです!」 葉さま達が――― どうやら、蓮を助けにアンナに内緒で出て行ったらしい。 たまおはそれを追いかけるとのこと。 葉だけでなく、ホロホロやまん太もいないらしい。 は―― 「私も……いく!」 急いで着替えると、たまおに続いて『炎』を飛び出した。 □■□ 葉たちにはすぐに追いついた。 たまおの持ち霊・ポンチとコンチが彼らの気配を辿っていくと、何と行き着いたのは近所のふんばり霊園だった。 何やら騒がしい。 「――二人揃って、善良!」 僧侶姿の青年と、神父姿の青年の、見るからに怪しい二人組が葉たちの行く手を阻んでいた。 その余りのネーミングに、唖然とする一同。 各言うも、呆然とその怪しげな二人組を見つめた。 だがそれを、ポンチとコンチの下品な笑い声が打ち破る。 それが気に障ったのか――善良が突然歌を歌いだした。 耳障りな旋律に、一同が怪訝そうにしていると―― 「わ、わたしのポンチと…コンチが…成仏しちゃった!?」 「阿弥陀丸! 馬孫!」 歌詞に隠された念仏が、ポンチとコンチ、果ては阿弥陀丸と馬孫までもを成仏させてしまった。 呆然と空を見上げるたまおと葉。 その隙に、葉は善良に攻撃されてしまう。 葉はショックで気絶したのか、ぴくりとも動かない。 すぐさまホロホロが、成仏とは縁のない精霊・コロロとオーバーソウルし、反撃に出ようとするが―― 既に手は読まれていたらしく、コロロはとっくに善良に捕らえられていた。 勢い余ってオーバーソウルの格好を取ったまま、地面に倒れこむホロホロ。 「つ、使えねえ…」 まん太の呟きがむなしく響いた。 そして、ホロホロも善良の操るオーバーソウル・魑魅魍魎に攻撃される。 「…ホロホロ!」 が叫んだ。 思わず彼らの前に立ちふさがる。 「や、やめて!」 これじゃ中国にいけない。 蓮を助けに――行けない。 すると善が、にやりと嫌な笑いを浮かべた。 「邪魔すると君も巻き添えだよ」 「―――ッ!?」 次の瞬間、青白い魑魅魍魎の大群が、を襲った。 「っきゃああ!」 「!」 「さん!」 ホロホロやたまおたちの叫びが木霊した。 たまらず地面に倒れ付す。 倒れた拍子に頭を打って、一瞬目の前に火花が散る。 「っ…」 動こうにも、大量の魑魅魍魎に下敷きにされて指一本動かせない。 「君はそこで大人しくしていたほうがいい。ハオ様のためにもね」 「え……?」 ハオ…? 誰のこと? 魑魅魍魎に押し潰されながら、必死に記憶を探ってみるが、そんな名前はない。 (……でも) でも今は、それどころじゃない。 早く、早く中国へ行かなければ 蓮が 死んでしまう 「くっ…」 重くて苦しい。 でもそれ以上に、己の不甲斐なさに腹が立った。 蓮の元へ行きたい。 でも、そのための力がない。 ――そんなこと、わかっていた筈だったのに。 ああ、わたしここで何やってるんだろう。 こんな、こんな―― 何の役にも立たないのに。 ただみんなの足を引っ張ってるだけじゃないか。 結局わたしは弱いままで、ここまで来ても何も出来ない。 ただ地面に這いつくばっているだけ。 ぎり、と奥歯を噛み締める。 血が出るほどに、拳を握り締める。 悔しくて悔しくて。 「お願い…邪魔しないで…」 ――――あの人のもとへ、行きたいだけなのに 「どいてええええぇぇぇェェェェ!!!」 その瞬間。 「―――な…」 「そんな馬鹿な!」 善良が驚愕の声を上げる中、一帯は眩いばかりの閃光に包まれた。 そして、まるで大量の水が蒸発するような音を立て―――その場にいる全ての魑魅魍魎の姿が消滅した。 「これはっ…」 これにはホロホロも目を見張る。 彼や、葉を押し潰していた魑魅魍魎の姿も、いつの間にか消えていた。 だが一番驚いていたのは――他でもない、本人だった。 信じられないように、己の両手を見つめる。 「なに…これ……?」 はシャーマンではない。 だから巫力の使い方も、ましてやその原理すらも知らない。その筈なのに。 息が荒い。 何だろう、この猛烈な疲労感。虚脱感。 四肢に力が入らない。 「まさか……オーバーソウルを解くだけでなく…浄化させちまったっていうのか!? 俺たちの魑魅魍魎を…」 良が信じがたいというように呟いた。 だがすぐに二人共々構える。 「――だが残念だったな。俺たちの操る魑魅魍魎は、雑霊。そこらへんに大勢いるのさ!」 「食らえ!」 「ぐあ!」 「うお!」 再び魑魅魍魎の大群に襲われる葉とホロホロ。 とて例外ではなかった。 「っ…」 声も上げずに再度転倒する。 「ぐっ……くそ、…!」 ホロホロが必死で呼びかけるが―― はそれに答える力すらもないようで、ただゼイゼイと肩で大きく息をしていた。 駄目だ。 力が―――入らない。 「くそぅ……おい葉! いつまで気ィ失ってんだ!」 同じく動けないホロホロが、葉に怒鳴りつける。 すると、ようやく我に帰った葉が、 「そうだ……阿弥陀丸を取り返さなきゃ…」 ―――渾身の力を。 「阿弥陀丸を…阿弥陀丸を…返せェェェェ!」 巫力を使って、自らに張り付く魑魅魍魎達を引き剥がした。 だがと同じく、力を使い果たした葉はふらふらと立ち上がる。 そのまま「阿弥陀丸を、かえせ…」とうわ言のように繰り返しながら善良に近付いていく。 そこへ――― まだ巫力の残る善良たちの、余裕の攻撃が襲い掛かった。 しかし、その魑魅魍魎たちが葉へ届く寸前。 「!?」 一瞬のうちに、ばらばらに切り裂かれる霊たち。 「だ、誰だ、こんな惨いことをする奴はァ!?」 善良が大慌てで叫ぶ。 するとそこへ、いつの間にやって来たのか―― 「梅に鶯、松に鶴、牡丹に唐獅子―――葉のダンナと言やぁ、この木刀の竜が付き物だぜ」 木刀の竜――梅宮竜之介が、いた。 □■□ 木刀の竜と、その持ち霊・蜥蜴郎の活躍により、善良は退散した。 助け出される一同。 そして、竜がシャーマンになったことを知った葉達。 いつの間にか傍にいたシルバが、説明してくれる。 ふと気付けば――朝日が昇っていた。 「え――竜さんも、蓮を助けに行くの!?」 まん太が素っ頓狂な声を上げた。 それもその筈、以前に一度、竜は蓮にひどい目に合わされたかららしい。 そこら辺の事情は、には余り窺い知れぬことだったが―― 「俺は居場所のない奴の味方なんだ。あいつにも教えてやるのさ……ベストプレイスは、きっとあるってな」 「……そうだな」 「―――?」 葉がちらりとを見て頷く。 その真意を掴みあぐねて、はただ首を傾げた。 「ところでダンナ」 「ん?」 「そこのメラ可愛娘ちゃんは一体何処のどなたで!?」 「――わ」 いきなりぐるん、と竜に振り向かれ、は飛び上がった。 その濃い顔がぐっと迫ってくる。 葉が慌てて止めに入った。 「やめた方がいいぞー竜! 蓮に殺されるぞ」 「は? 蓮に? ……もしかして」 「おう。そいつはって言ってな―――あいつが今一番、大事にしてる奴」 (………!) どきん、と。 心臓が跳ねた。 竜が「メラギャッフーン!」と激しく落ち込んでいるが、はただ葉を見つめる。 その視線に気付いて、葉が な? と悪戯っぽく笑った。 ザ、と音を立てて、すぐ隣にシルバが立った。 「―――どうやら、うまくやっているようだな」 「あ…シルバ、さん」 「…良かった。安心したよ」 ふっとシルバが微笑む。 それは本当に、心底安堵しているような笑顔で。 そういえば、わたしが無理矢理連れて行かれそうになった時も… この人だけは、反対しているようだった。 (…悪い人じゃ、ないのかな) そう感じた。 だからこそ、答える。 笑って。 「―――はい」 その後、アンナやピリカ達も合流。 アンナの口寄せで、成仏してしまった阿弥陀丸や馬孫、ポンチ・コンチを呼び寄せてもらった。 葉たちは、改めて出発する。 中国を目指して。 葉は発つ直前、に尋ねた。 「お前も一緒に来るか?」と。 だけど。 は、首を横に振った。 「いい。―――わたし、まってる。ちゃんとまって………蓮に、おかえりっていうの」 わたしには……戦うだけの力はない。 今回のことで、それを思い知った。 結局使い物にならなかった。 でもきちんと待ってることも――強さのひとつなのだとしたら。 ならばそれが、今わたしがすべきこと。 蓮が、そう望んだのだから。 「葉。ホロホロ。竜さん。まん太くん。―――蓮を、おねがいします」 彼らに託そう。 すべてを。 「ああ。――――じゃあ行って来る」 そうして 彼等は中国へと旅立った。 |